東京地方裁判所 昭和40年(合わ)95号 判決 1965年11月08日
被告人 鹿川雅弘
主文
被告人を懲役一年に処する。
未決勾留日数中一五〇日を右本刑に算入する。
但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用のうち、証人山元国秋、同中島キミヱ及び同金子嗣郎に支給した分並びに鑑定人金子嗣郎に支給した分の各二分の一を被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三五年一月頃郷里の私立北上商業高等学校一年に在学中、相撲をとつて柱に頭を打ちつけ、頭頂部に陥没骨折を伴う外傷を受けて数日間入院して以来、右頭部外傷により、易怒的傾向、爆発的傾向を主徴とした性格変化を来たし、とかく些細なことに原因して粗暴な振舞に出ることが多かつたところ、昭和三七年三月右高等学校を卒業、同年四月専修大学経済学部商業科に入学し、東京都豊島区巣鴨六丁目スーパー・マーケツト「ユーエスフアーマシー」の二階に間借し、同年一一月頃から肩書住居である名児耶荘に居住し、右「ユーエスフアーマシー」に買物に来ていた国電大塚駅北口折戸通りにあるバー「九」(いちじく)のホステスらと知合いとなり、右バーに出入するうち、マダム中島キミヱを知り、更に、右バーに出入していた山元国秋(明治三五年一〇月一一日生)とも知合いとなつた。そして、被告人と山元とは、創価学会の信者である右中島キミヱから勧められて共に創価学会に入信し、しばしば一緒に信仰について勉強したことから、互いに親しい間柄となり、二人で、右バーの会計、税務などの事務を手伝うようになつたが、被告人は、昭和三八年四月頃から約一年二カ月位の間、右バーのホステス塩路節子と同棲し、しばしば、同都同区西巣鴨三丁目にあつた右中島キミヱのアパートに止宿したこともあり、その間、同都同区西巣鴨三丁目九〇三番地八重菊荘内の右山元国秋の居室を訪れたことも数回あつた。その後、被告人は、昭和三九年一二月頃、新宿のレストラン「猪山」のウエイトレスであつた大坪みどりと知り合い、昭和四〇年一月下旬から肩書住居で同棲していたが、同年三月一六日夕方、貸した金を返えしてもらうため、友人二名を訪ねた帰途、同都豊島区都電巣鴨新田停留所先の踏切を越えた付近の建築工事現場で、そこに落ちていた金槌(柄の長さ約二〇糎、鉄の部分の長さ約八糎、太さ約二糎)を何気なく拾い、ふと、バー「九」を訪ねようと考え、その前まで行つたところ、高級乗用車が停まつていたので、来客中と思つて入るのをやめ、同日午後一〇時過頃、近所の前記山元国秋の居室に同人を訪ねた。そして、同人と雑談しているうち、山元が、昨年被告人の母が山元にりんごを送つたのに礼状も出さないで、またりんごが欲しいようなことをいつたこと、被告人が同棲していた塩路節子と別れてよかつたといつたことなど些細なことから、不快となり、一年位前前記中島キミヱのアパートに被告人と塩路節子が留守番中中島の金約三〇、〇〇〇円が紛失した際に、山元が被告人を疑うような言動をしたことなどを想起し、翌一七日午前零時頃、同人が被告人に対しまともに応待していないものと誤解して、急に憤激し、所持していた前記金槌で、同人の頭部及び胸部を一〇数回殴打し、よつて、同人に対し、入院加療約三週間を要した脳震盪症兼頭部多発性裂創兼右前腕部挫傷(頭部損傷については、後遺症の発現する可能性がある。)の傷害を負わせたものである。
なお、被告人は、右犯行当時、前記頭部外傷による性格変化に基く爆発的傾向の発現のため、心神耗弱の状態にあつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(強盗傷人の訴因に対し傷害のみを認定した理由及び弁護人の主張に対する判断)
本件公訴事実の要旨は、被告人は、金品を強取しようと企て、昭和四〇年三月一七日午前零時頃、東京都豊島区西巣鴨三丁目九〇三番地八重菊荘内山元国秋方において、同人と対談中、その隙を窺い、矢庭に所携の金槌をもつて同人の頭部を一〇数回殴打し、同人をその場に昏倒せしめてその反抗を抑圧し、よつて、同人よりその所有の腕時計一個、銀製指輪一個及びトランジスター・ラジオ一台(時価合計一六、八〇〇円相当)を強取し、その際、右暴行により、同人に対し、治療約四〇日を要する頭部裂創等の傷害を負わせたものである、というのである。これに対し、被告人及び弁護人は、被告人には、金品強取の犯意がなく、財物奪取についても、不法領得の意思がなかつた旨を、弁護人は、被告人は、本件犯行当時、心神喪失又は心神耗弱の状態にあつた旨を、各主張する。
当裁判所は、検察官の主張に対し、公訴事実の一部である山元国秋に対する傷害の事実のみを認定し、その余を排斥し、弁護人の主張に対し、心神喪失の主張を排斥し、右犯行当時、被告人は心神耗弱の状態にあつたものであると認めたので、以下、その理由を説明する。
一 本件にあらわれたすべての証拠、なかんずく、前掲各証拠によれば、本件公訴事実中、被告人が判示のとおり、山元国秋に傷害を与えた(但し、その程度は異る。)こと及び被告人が判示山元国秋の居室において、山元所有の腕時計一個及び銀製指輪一個を同人から取り上げ、室内にあつたトランジスター・ラジオ一台と共に、ポケツトに入れ、被告人の肩書自宅まで持ち帰つたことは、明らかにこれを認めることができるのである。従つて、本件の中心問題は、被告人に金品強取の犯意があつたかどうか、かりに金品強取の犯意がなかつたとしても、前記腕時計等の財物を取り上げ又はこれを持ち帰る際に、被告人に不法領得の意思があつたかどうか、被告人の本件犯行当時の精神状態の三点に帰着するのである。
二 被告人の金品強取の犯意について
検察官は、(1) 被告人は、日頃、所持金が一〇、〇〇〇円以下になると淋しい気持になる癖があり、本件当日の三日前の三月一三日には、手持の金が八、〇〇〇円位しかなくなり、親元に送金依頼の電報を打つたが、送金がなく、本件当時、手持金は三、〇〇〇円位しかなかつた、(2) 被告人は、本件当日である三月一六日夕方、以前金を貸していた友人二名から金の返済を受けるため訪問したが、返済を受けられないまま帰途についた、(3) 被告人は、その途中判示工事現場で判示金槌を拾つた、そこで、右のように、金に困つていたところへ金槌を拾つたので、金品強取を企て、先ず、判示中島キミヱ方に行こうとし、来客があつたため代りに山元方を訪ね、機会を窺つて本件殴打行為に及び、山元の抵抗を抑圧したのち腕時計等を奪取したものであると主張する。
そこで、証拠関係を検討してみると、本件の証拠のうち、被告人の金品強取の犯意の点の直接の証拠としては、被告人の検察官に対する昭和四〇年四月六日付供述調書(一)中被告人の「私が、本年四月三日警察で、山元さんの所へ行つて強盗してやろうと思つた、そして金槌で叩いてぶつ殺して逃げようと思つていました等話したことは間違ありませんが云々」という供述記載及び証人山名秀哲の当公判廷における、被告人から、当時、本件の担当捜査主任として、右被告人の供述と同趣旨の供述を聴取した旨の供述以外にはない。よつて、被告人の右供述記載及び証人山名秀哲が被告人から聴取した被告人の供述の信用性について考察してみると、前掲各証拠によれば、被告人は、逮捕後、捜査及び公判の段階を通じ、一回司法警察員に対し、金品強取の犯意を認める趣旨の供述をし、検察官に対し、司法警察員に対し金品強取の犯意を認めたことがある旨の供述をしたほかは、一貫して金品強取の犯意を否認していること、司法警察員が、被告人の金品強取の犯意を認める供述を録取して、これに対する署名押印を求めたのに対し、被告人はこれを拒絶していること、右拒絶の理由については、被告人は司法警察員及び検察官に対しては、弁護士の解任を求めたが容れられなかつたからである旨述べたに止まるのであるが、当公判においては、右理由のほか金品強取の犯意はなかつたので、右供述は、事実に反するからである旨をも付加して述べていることが、それぞれ認められるのである。右のような金品強取の犯意の点に関する被告人の相反する供述や供述記載を対比してみると、金品強取の犯意を認めた前記被告人の供述記載や供述には、この点を否認している捜査及び公判段階における各供述や供述記載をすべて排斥して、これを信用し得るほどの特段の事情が認められず、これをもつて被告人の金品強取の犯意を確認するに足りる程の有力な証拠とすることはできない。もつとも、前掲各証拠によれば、検察官主張の(1) ないし(3) の各事実が認められ、判示したように、頭部外傷による性格変化を来たしていた被告人が、このような事情の下に、金品強取の犯意をいだく可能性のあることは、考えられないわけではないが、この反面、これらの事情は、本件犯行の動機として、決定的に有力なものではなく、これらの事情のみから被告人の金品強取の犯意を認定することができないことはいうまでもないところである。即ち、前記(1) 及び(2) の検察官主張の事実は、さほどさし迫つた金銭に窮迫した状態とはいえず、前掲各証拠によれば、同(3) の検察官主張の被告人が金槌を拾つた事実は、全く偶然の出来事であること、被告人が山元国秋所有の腕時計一個銀製指輪一個及びトランジスター・ラジオ一台を同人から取り上げ、又は持ち去る行為に出たのは、右山元に対する本件殴打行為が終了した後であること、判示したように被告人が山元方をおとずれてから本件殴打行為に及ぶまでには一時間以上の時間があつたが、その間被告人の態度は全く平静で、何ら特異な態度が見受けられないこと、並びに被告人は、頭部外傷により易怒的傾向、爆発的傾向を主徴とした性格変化を来たしていて、これまでに些細なことに原因して粗暴な振舞に出ることがかなり多かつたことがそれぞれ認められるから、これらを総合すれば、被告人が、捜査及び公判の段階を通じ、金品強取の点を否認し、判示の経過で、偶然に自己と親しい交際のあつた山元国秋を訪ね、雑談をしているうち、判示のような些細な同人の言動に不快の念を抱き、急に憤激して、判示傷害行為に出たものであると弁疏していることは、これを措信するに足りるものと考えられるのであつて、検察官主張のように、これを直ちに排除することはできない。
以上説明のとおりであるから、本件公訴事実中被告人の金品強取の犯意の点は、その証明が不充分であるといわれなければならない。
三 被告人の不法領得の意思について
前記のとおり、被告人が判示山元国秋の居室において、同人所有の腕時計一個、銀製指輪一個を同人から取り上げ、室内にあつたトランジスター・ラジオ一台と共に、金品強取の意思に基づかないで、これをポケツトに入れ、肩書自宅まで持ち帰つたことは、明白な事実である。そして、この外形事実が、被告人が山元の財物についてその占有を奪つたものとして窃盗罪の構成要件の一つである他人の財物の奪取にあたることはいうまでもない。窃盗罪の成立には財物奪取のほか不法領得の意思を必要とするのであるが、被告人及び弁護人は、被告人には不法領得の意思がなかつた旨主張するので、この点を考察する。
証拠関係を検討してみると、この点に関しても、被告人の不法領得の意思を直接に認定し得る証拠としては、前記二の被告人の金品強取の犯意についての直接の証拠、即ち、被告人の検察官に対する昭和四〇年四月六日付供述調書(一)中の被告人の供述記載及び証人山名秀哲の当公判廷における供述以外にはない。そして、これらの供述記載及び供述が決定的に有力なこの点の証拠となり得ない理由も、前記二の説明のとおりである。また、被告人の供述調書中には右時計等をとつたと供述をしている如き記載部分もあるが、同時に、各供述調書によれば、被告人は、どういう気持だつたか判らない旨(司法警察員に対する昭和四〇年三月一七日付供述調書)、金槌ででむちやくちやになぐりつけたのもこんな気持(中島キミヱの金がなくなつたことで疑われてうらむ気持を指す)が一時にぐつとこみあげてきたからである、山元さんの腕時計や指輪などをとつたのもこんな気持がこみ上げており、部屋中にあるものもすつかり外にほうり出してやりたい気持だつた旨(司法警察員に対する同月二四日付供述調書)、山元から腕時計とか指輪、トランジスター・ラジオを取つたのはとにかく癪にさわつてめちやくちやにやつて困らせてやるつもりであつた旨(検察官に対する同年四月六日付供述調書(二))を述べており、当公判廷においては、山元を殴打したあと気付くと同人が倒れていて手をふつているので、助けようとその左手を引張つたら指輪がとれた、腕時計も同人の手から落ちかけていたので机の下に落ちていたトランジスター・ラジオと共に机の上にのせたように思うが、いつどうしてそれらを持つてきたのかはわからない、とか、気持が落着かずむしやくしやしているので、部屋中のものを手当り次第投げたり、かきまわしたりしたかつた、とか、腕時計等は山元を困らせるために持つてきた、それが欲しいわけではなかつたなどと供述し、又、アパートに戻つて大坪みどりからいわれるまで腕時計等を持つてきたのに気付かなかつたと述べている。これらの供述記載及び供述中には、相互に矛盾している点もあり、弁解のための弁解にすぎないと考えられるものもないではないが、これらの供述記載及び供述と、前掲各証拠によつて認められる、被告人が山元方居室において容易に発見し、持ち去り得る現金などに手をふれていないこと、山元が、殴打受傷により、出血し、その血のために手はぬるぬるしていたから腕時計や指輪が手からはずれやすい状態にあつたと述べていること、前記二において説明したように、山元に対する殴打行為は被告人の異常な精神状態の下で行われたものであつて、被告人のその前後の思考態度や認識能力にもいくつかの点で、異常な点が窺えることなどとを総合して考察してみると、被告人は、腕時計等を持ち去つた際、その弁解のように、山元を困らせる気持あるいは何らの考えも意図もない特殊な心理状態にあつたのではないかとの疑いが相当に残るのである。即ち、被告人には、右財物につき、不法領得の意思がなかつたのではないかとの疑いがあることとなるのである。もつとも、前掲各証拠によると、他方被告人は、山元方より帰る途中、自己のレインコートを捨て、あるいは置き忘れたのにも拘らず、腕時計等についてはそのようなことがなかつたし、大坪みどりに対し、「俺のやつたものだつたが、頭にきたので持つてきた。」、「これをどこかに捨ててくれ。」などといつてトランジスター・ラジオなどを渡していることなどが認められるが、これらの事後の事情も、前記被告人の財物奪取の際の心理状態についての前記の疑いを解消させるほど有力なものではない。結局、右の疑いを解消させ、被告人が腕時計等を山元方居室から持ち去つた際、これを不法に領得しようとする意思があつたものと認めるに足りる証拠が充分でないこととなるから、被告人に対し窃盗罪の刑責を問うことはできないこととなるのである。
(なお、証拠上認められるアパートの自室到着後の被告人の言動と前記諸事情を総合すると、被告人が自室において、はじめて、不法領得の意思をいだき、前記腕時計等を領得したことを認めることを困難である。)
四 被告人の本件犯行当時の精神状態について
弁護人は、被告人は、本件犯行当時、心神喪失の状態にあつたものであり、かりにそうでなくても心神耗弱の状態にあつた旨主張する。そこで、この点について考察してみると、前掲各証拠によれば、被告人は、高等学校一年に在学中頭頂部に陥没骨折を伴う外傷を受けたことが原因となり、易怒的傾向、爆発的傾向を主徴とした性格変化を来たし、とかく些細なことに原因して粗暴な振舞に出ることが多かつたことは判示のとおりであり、前記二、三で説明したように本件犯行も判示のような些細なことに憤激して、前記性格変化による爆発的傾向があらわれたためのものではないかと考えられるのであつて、そうであるなら、被告人は判示犯行当時事理の是非、善悪の弁別又はこれに従つて行動する能力が著しく減弱していたものといえる。しかし、被告人は、これまで右頭部外傷を受けた後も、高等学校、大学を通じて支障なく勉学し、日常生活においては、なんら支障がなかつたし、本件犯行(殴打行為)前後の自己の行動について、大体においてこれを記憶し、これを捜査及び公判の段階を通じて供述しており、特別に意識の断絶などがあつたとの事情までは窺えないのであるから、これらの事情を総合すれば、被告人には、本件犯行当時、事理の是非、善悪の弁別又はこれに従つて行動する能力が完全にあるいはほとんどなかつたものとまでいえないことは明らかである。
従つて、被告人は、本件犯行(殴打行為)当時、心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当であつて、弁護人の心神喪失の主張はこれを採用することができない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項第一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、心神耗弱者の所為であるから、刑法第三九条第二項、第六八条第三号により法律上の減軽をし、その刑期の範囲内で、被告人を懲役一年に処し、同法第二一条により未決勾留日数中一五〇日を右本刑に算入したうえ、同法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により訴訟費用のうち証人山元国秋、同中島キミエ及び同金子嗣郎に支給した分並びに鑑定人金子嗣郎に支給した分の各二分の一を被告人に負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 真野英一 外池泰治 堀内信明)